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ESDは幸せになるための土台

~どんな社会になっても生きていける力は非認知能力にあり~
 
成り立ち 
 豊中市は2004年~2014年まで、ESDの10年を掲げ活動をされてきました。とよなかESDネットワーク(以下 TEN)は、それに関わっていた3人がキーパーソンとなり立ち上がった団体ですので、設立は若いですがスタッフはベテラン揃い。豊中市との結びつきが完全になくなったわけではなく、様々なセクションと協働しながら事業を進めているそうです。
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ビジョンとミッションと
 ビジョン(夢)は「どんな環境にあっても、誇り(自己肯定感/生きる力)を持って生きて行ける人がたくさんいる」街にすること。単に“住みやすい街ランキング1位”を目指しているわけではなく、「自分の居場所がある」とか「自分らしくいられる」と感じられる場所がある、ということです。そのためのミッション(目的)は「行動を起こせる人を育てる」。時に、「TENの活動は、学校に行けない子など、助けが必要な子には届いていないではないか」という疑問が投げられることもあるそうです。それに対するTENの答えは、私たちは社会課題の当事者支援団体ではなく、当事者をサポートする人を育てる団体であるというもの。
 例えばチャレンジクッキングという、添加物の実験や農体験、料理作りまでできる3回講座では、「一人で家にいるような子どもが自分で料理できるように」というねらいではあったものの、それに該当するターゲットは参加していませんでした。しかし参加者が帰ってさっそく作った料理を家族に披露したり、学童で添加物のことを友達に話したりという報告があったそうです。これは短期的な成果で、子どもたちが学んだことが役に立つのは5年後か、10年後か、あるいは親になった時かもしれません。ESDを学んだ人が将来、社会課題に気づき行動してもらうことがねらいなのだそうです。
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 このように講座を受けた人がまた他の人に伝えてくれたり、公教育の中で活用してくれたりすればいい。そういった波及効果を期待しているそうです。確かに心に余裕がないと社会課題に取り組もうなんて思えませんよね。
 行動する人を育む教育(手段)がESDなのです。
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ESDの価値は幸せに生きるということ
 取材中に「ESDは幸せになるためにやっているのだ」という言葉が印象的でした。日本は経済的に豊かな国ですが、差別、貧困の問題、自殺率の高さなどの社会問題は枚挙に暇がありません。「いい大学に入って、いい会社に入ったら、幸せになれる」という高度経済成長時代の価値観が崩れ、今ある仕事が将来もある保障もなく、世の中がどんどん変わっていく中で、TENの非認知の力(自己肯定感・生きる力)を高めるというビジョンは幸せに生きていくための土台なのではないでしょうか。この証明は短期でできるものではありません。ノーベル経済学賞をとった、ジェームズ・ヘックマンが40年かかって非認知の能力を伸ばすことで得られる経済的利益」を証明したように(※)、TENで出会った子どもたちの40年後をぜひ調べて欲しいと思います。
 
※著書『幼児教育の経済学』参照。恵まれない家庭の子供を対象に、幼少期の環境を改善した複数の研究を発表。幼少期の環境を豊かにすることが認知的スキル(IQテストや学力検査などによって測定される能力)と非認知的スキルの両方に影響を与え、学業や働きぶりや社会的行動に肯定的な結果をもたらすことが示された。
 
レポートの続き(第2弾)はこちらをご覧ください。

#ESDワカモノ

訪問先

特定非営利活動法人 とよなかESDネットワーク
2016年3月1日にNPO法人化。スタッフは、国際、環境、開発、人権、福祉ジェンダーなど、さまざまな分野に対応出来る方が揃う。市民公益活動団体、学校、地域諸団体、企業、商店などをつなぎ、ESDを推進しながら協働を進めていくためのプラットホームとなる団体を目指されている。
豊中の地域資源を活かしながら、互いに学び合ことができるESDプログラムの作成や講師派遣を行っておられる。対象は小学生~シニア世代までは幅広く対応。“水”、“ゴミ”、“ご近所さん”、“料理”、“結婚”など身近なテーマを取り上げ、課題を解決するのではなく、課題を解決できる人を育てるプログラム作りをされている。

記入者

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大橋 寛実(公益社団法人 大阪自然環境保全協会)
大学生時代より、小学校への環境教育の出前授業を始める。卒業後も働きながら、森のようちえんの手伝い、指導者育成、放射能に不安な家族を大阪に1週間招く保養キャンプなど“子どもと自然”に関わる活動を続ける。これまでの活動の中で、「自然の大切さを伝える一方で、自分の日々の暮らしが持続可能ではない」というもやもやが募り、2016年からは田舎のなりわいを学びながら自然に寄り添った暮らしを模索している。