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【海外通信員レポート:タンザニア】
[執筆者]岡野 真幸
(キサラウェ県ムスィンブ郡事務所所属/青年海外協力隊員)
タンザニアは東アフリカに位置し、日本の2.5倍の国土を有する。アフリカ最高峰のキリマンジャロ山や野生動物が豊富なセレンゲティ国立公園が有名である。労働人口の7割が農業に従事するが、機械化されておらず生産性が低いため、1人あたりGNIはわずか1,020ドル(2018 年世界銀行調べ)。最貧国ではあるものの、近年の経済発展は著しい。
現在、私はキサラウェ県ムスィンブ郡事務所で地域開発職員として勤務をしている。本郡は日本の市と同等の規模であるため市役所勤務と思ってもらってよい。しかし、同僚はわずかに6人、電気・水なし、予算なし、オフィスという箱に椅子と机があるだけという非常に過酷な環境である。タンザニア国内においても最貧困地域の1つである。
本郡は7つの村で構成されており、その内の1村に居住して1年が経つ。村にはヤシ・マンゴー・バナナ・カシューナッツといった南洋果樹が至る所に植わっており、未舗装の赤土の道路をバイクや車が通ると砂ぼこりがたつ。熱帯気候だが、日本の夏と比べると涼しい。おそらく自然が豊富だからであろう。3~5月が雨季、10、11月が小雨季、残りは乾季である。雨季になると道路が冠水または破壊され、移動が困難になる。最近になって電気が一部地域に開通するようになったが、依然として一般家庭は小型のソーラーパネルに頼る。水は井戸から確保する。家の半数が伝統的な土壁造り、半数がコンクリのブロック壁にトタン板の家。中国からの輸入品に依存しており、近代的な家は全てと言ってよいほど建築材料にその輸入品を使用している。ほぼ画一的な造りのためデザインや趣向に面白みは一切ない。村落住民の95%は農家で、自給自足に近い暮らしをしている。残りの5%が公務員や小さな商店の経営をしている。
私は地域開発職員として、各村の村落開発計画の支援・助言並びに住民の所得向上を図るべく取り組んでいる。具体的には各村を巡回訪問しキーパーソンと意見交換、村の会議への出席、そして養殖・養蜂・農業といった幅広い分野で教育を施し開発を進めている。とりわけ注力しているのが、淡水魚(ティラピア)の養殖推進である。タンザニアでは携帯電話の普及率は高いもののインターネットにアクセスができる人は限られているため、日本のように情報を簡単に入手できない。そこで、養殖を始めたい人向けに養殖会社や養殖学校への視察ツアーを組んでノウハウを身につけさせた。電気も水道もない村ではあるが、恵まれたことに地域によっては少し掘れば湧き水が出る。この特性を活かせば安価で簡単に養殖池を作ることができる。養殖学校で教鞭をとっている青年海外協力隊員と協力して魚のエサ作りのセミナーも実施した。これにより魚のエサ代を半額に抑えることに成功した。なお、ティラピアは病気に強い上、繁殖力も強いため1度稚魚を購入すれば継続して養殖が可能である。養殖によって所得向上と健康の改善を期待している。こうして私が赴任してから、郡内の養殖家は5名から24名へ、養殖池は20から54に増えた。県庁の職員曰く、今までに県内で確認した養殖池数は49というから、概ね倍増したことになる。限られた資源を最大限に有効活用して持続可能な開発をすることが求められている。
さて、想像に難くないと思うが、このような貧しい環境ゆえに課題は山積している。貧困地域だからこそ国際支援も多く入っているが、それでも変化をもたらすのは容易くない。それはなぜなのか?職務を通じて体験してきた実例をもとに、村落レベルから見たSDの課題を紹介したい。
1.破棄される井戸。廃棄される市場
支援・予算が付いた際に勢いで開発したのは良いものの、その土地のレベルに合わない機能性を持っていて、壊れてもお金も技術もないため誰も修理できずに廃棄されてしまっている。住民のニーズや適応性に欠いた開発をしても使用されることなく終わってしまうのだ。
2.進展のない村落開発
何年経っても進まない。2012年から始まって未だに基礎建設すら完成していない診療所もある。計画は絵に描いた餅である。地方政府が開発を住民に丸投げ。住民は強い開発の意思がないから継続性に欠ける。村長や村の行政官が寄付金や税金を着服して信用が失墜しているケースもある。開発の計画性や優先順位にも疑問が残る。タンザニアの文化として、毎年Mwenge wa uhuruという独立を記念した聖火トーチを各県にリレーしていくイベントがある。イベント自体は良いのだが、問題は違うところにある。政府の高官が通行するので、見栄えを良くするがために一時的に道路をならすのだ。アスファルトで舗装しないのでまたすぐにボロボロになる。毎年雨季になると道路は冠水・破壊され、乾季はひび割れる。道が悪いのでバイクや車の故障は絶えず修理費が嵩む。人の交流やモノの流通も滞る。この繰り返しである。
3.教育水準と就職
Oレベルと呼ばれる日本でいう中学校までが義務教育とされている。しかし義務教育にもかかわらず学校が遠い、親の理解がない、などの理由でドロップアウト組が多く存在する。大学を卒業するのは数%。大学院や、海外の大学を出るような優秀の人材のほとんどは、残念ながら公務員にはならない。彼らの就職先はNPOやNGO、国際機関、または外資系企業である。給料は倍以上、待遇も天と地ほどの差があるからだ。現に郡内の地方公務員の中で学士を持つのは3名のみである。ただでさえ職員の数が少ない中で優秀な人材がいなければ持続可能な開発や教育は期待できない。
4.ゴミ事情
ゴミは掘った穴に放り込んで燃やすのが、こちらの正しいやり方である。基本的にどこでもゴミ箱状態なのでバスからポイ捨て、道端にポイ捨て、更にはオフィス内でもポイ捨てである。赴任当初は違和感しかなかったが、慣れとは怖いものである。ゴミ箱を設置すればよいのでは?と思うかもしれない。しかし、誰がどこで処理するのかが問題である。処理場も、ゴミ運搬車もないのである。限られた大都市にしかそのようなものは存在しない。しかも仮にゴミ箱を設置したとして、ゴミ箱そのものが資源に成り得るので盗まれて終わる可能性もある。
おわりに
国連ではSDGsが策定され、その1つにESDが求められているかもしれないが、村落レベルでは残念ながらleo,kesho(スワヒリ語で今日、明日)の世界でしか物事が進んでいかないのが現状である。つまるところ、衣食足りて礼節を知るということなのではないかと考える。今日明日の食事やお金を満足に得られないのに1年後、はたまた10年後20年後のことを考えられるだろうか?彼らも可能ならば長持ちする材料で家を作りたい、食事もお肉や魚を食べたい、バイクも日本製を買いたいという欲求はある。しかし、選べるほどの余裕はない。まずは安かろう悪かろうで構わないのだ。手に入る安いものを購入して、使用して、壊れて廃棄して、大量生産・大量消費・大量廃棄の歴史を繰り返すだけであると感じている。よほど生活が安定しない限り未来のことを考慮して購買することはない。
私は、村落にとって「持続可能な開発」が欠かせないと考えており、常に、1.住民が(活動を)理解可能であること2.住民が(資源を)利用可能であること3.住民が自身の力で継続可能なことを意識している。特に2と3については住民への説明を欠かさない。持続可能な開発のために何が必要か、自分の理想論、あるべき論を語ったところで、住民の関心と離れていれば、それは住民にとって何の意味もなさず、結局私の「独り言」と同じである。私のいるような村落でESDを考える際には、お金になるか、ビジネスになるか、という点は非常に重要なポイント(根幹)だ。単に持続可能な開発についての教育を施されても、持続可能性の優先順位は低く、2の次になってしまうのだ。SD(持続可能な開発)の早期浸透の可能性があるとしたらビジネスになるようなESDを推進するべきだろう。例えば車の廃タイヤを再利用してゴムのチューブやサンダル製作、セメントの廃棄袋でバッグや敷物製作など、資源を再利用するビジネスはこちらでは日常風景である。環境に配慮しなさい、リサイクルしましょう、などと言われなくてもお金になるようなビジネスは自然とやっている。願わくば、単なる理想の押し付けではなくESDとして新たなビジネスモデルをも構築するものであってもらいたい。
※「本記載は個人の主観によるものです。」