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ベトナム・日越大学での高等教育におけるESDと異文化に触れて

【海外通信員レポート:ベトナム】
 
[執筆者]佐藤 圭輔
(日越大学 環境工学修士プログラム・JICA専門家(立命館大学 理工学部・准教授))

 
 当方は2019年4月より,ベトナム・ハノイにJICA専門家(教員専門家)として赴任した.我々のミッションは2016年9月に開学した日越大学(当方は環境工学プログラム担当)の運営を支援することである.当大学の特徴は,各専門課程を含む大学院・修士課程プログラム(文理合わせて全7プログラム,http://vju.vnu.edu.vn/)でありながら,全学としてリベラルアーツとサスティナビリティサイエンスを軸に,文理横断型の教育プログラムを展開していること,それに応じた教育カリキュラムを編成していることである.例えば全学横断型の共通必修科目にBasics of Sustainability ScienceやMethodology and Informatics for Sustainable Scienceなどが実践的な活動を伴うPBL科目として配置されており,これらの科目には3単位(ベトナムでは45授業時間)が付与されている.日本の多くの大学でも類似のHESD学習プログラムがあるものの,多くは有志が選択で取組む正課・課外活動となっており,大学全体で必修化されているという点においては,その力の入れ方が分かると思う.これらの科目では,国際大学あるいは総合大学ならでは多様な視点から講義を受けて,特にベトナム国内の身近な課題を取り上げて,その解決を図るための技術的あるいは政策的アプローチを提案するストーリになっている.自由課題とした場合に,日本でもベトナムでも同じようにゴミ,エネルギー,自然環境,住環境,あるいは環境意識などの問題が設定されやすいが,ベトナムでの特徴としては農業改善も取上げられることが多い.さすがはアジアを代表する農業大国である.
 さて,ベトナム農業と言えば米であり,何でもかんでも米で作る.良く知られているフォーやブンはライスヌードルであるし,生・揚げ春巻きやバインセオ(ベトナムお好み焼き)の生地にも米粉が使われる.ベトナムの年中温暖湿潤な気候を背景に,特に南部ではコメの三期作も行われている.人口増加や経済発展の著しいアジア圏では,農業・食料の持続性や安全性は,特に注目されており,容易に解が見つからない中で,若い世代が今後をどのように考えているかはとても興味深い.食糧を大量に輸入するなど,置かれている環境が大きく異なっている日本との考え方の違いも大きい.
 ベトナムに来て半年が経過し,当地ならではの驚きも多々ある.ここでは“行動の動機”について“私が感じたこと”を紹介したい.ベトナムでは問題に直面して初めてどうしようか考え,その時の最善策で行動し,楽観的に何とか解決する(解決しなくても時間は過ぎ去る).悪く言うと,事前に問題を察知しないので,考えすぎることも無いが,計画性に乏しく実に効率が悪い(と感じる).日本にいれば,驚くほどに問題に直面することが少なく,それはなぜなのか考えたことも無かった.今考えれば,それはとても高度な計画やシステム,ルールに基づいて多くの人がそれを遵守しながら生活しているからであり,何かあった時のための備えも十分である.日本人は保険の好きな民族としても知られていて,誰にも迷惑をかけないように,無いかもしれないリスクにも十二分に備える.高度にシステム化,ルール化された背景には,問題を避けるための効率や安心を目指したことにあると思うが,日本人一人ひとりが“本当に必要である”と思って行動しているだろうか? “行動に理由”があるとすれば,問題を避けるために規範意識が優先しやすい民族性がその根拠となっているようにも思う.多くの日本人は誰もが何かを正しいと信じたい,日本国もそうだし社会システムもそうだし,それに従っていれば間違いないと信じたい,逆に言えば疲れるので“考えたくない”ということではないだろうか? 大きな災害があったときに,それが想定しにくい規模であっても,日本では行政や社会システムの責任を追及することがある.何かに頼りたい気持ちの表れでは無いだろうか?
 ベトナムで,いちいち何かの問題を人のせいにしていたらきりが無い.道路や歩道にはいたるところに穴があるし,渋滞時には歩道にも普通にバイクが通る.信号を守らない自動車も多いし,逆走も珍しくないが,道路を横断したいときは,交通とドライバーの流れに息を合わせて“気を付けて”焦らずに渡る.日本人にはこれがとても難しい.最近,ハノイは世界で最も大気汚染が深刻な都市になってしまった.実際に“もや”がひどいし,体調に影響している人も多い.穴に落ちても,事故っても,汚染を食らっても,まずは自己責任であることがこの国の考え方なので,みんな何らかの考えをもって自分の身を守っている(ように感じる).つまり,“行動に直接的な理由”がある.最近経験したこととしては,同じ大学の職員さんの母親が深刻な病気になった.その際に,その上司が中心となって義援金を募集した.困ったら家族を最優先に身近な人たちでお互いに助け合うのがこの国の一般であって,保険制度が充実していなくても,過剰に備えなくても,その場を乗り越える努力をみんなでしている.
さて,問題が起こりにくい高度にシステム化された日本では,考えない人たちが増えていないだろうか? いざというときに乗り越えられるだろうか? 創造的に挑戦し,失敗したら次があるだろうか? システム力や経済力で解決できない場面においてこそ,持続可能性の本質が試される気がする.両国の学生がこういったトピックスで議論している場面を見て,国や文化,専門や時代を超えたESDディスカッションに不安と魅力,期待が錯綜する.
 
(1)ベトナムでとても大事されている誕生日のお祝い(環境工学プログラムの学生・スタッフたちと)
(1)ベトナムでとても大事されている誕生日のお祝い
 
(2)ハノイ市内の歩道のでこぼこ(とくに珍しい光景ではない)
(2)歩道のでこぼこ
 
(3)ハノイ市内の歩道を通過するバイク(とくに珍しい光景ではない)
(3)歩道を通過するバイク
 
(4)ハノイ市内の歩道でテレビ鑑賞する市民(とくに珍しい光景ではない)
(4)歩道を埋め尽くすテレビ鑑賞者たち
 
(5)ハノイの自宅から望む大気汚染(とくに珍しい光景ではない)
(5)ハノイの大気汚染