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エルサレムにおける多様性を尊重する教育

【海外通信員レポート:イスラエル(パレスチナ)】
 
[執筆者]内藤 徹
(前JICA地球ひろば推進課長、エルサレム在住)

 
エルサレムにおける多様性を尊重する教育
 
1.エルサレムという特殊な場所
 私は今、エルサレムに家族と住んでいます。この地は、宗教、歴史、国際政治といった観点から特殊な場所です。我が家から歩いて15分ほどしたところに、1km四方の城壁に囲まれた旧市街があります。その中には、イエス=キリストが十字架に架けられたゴルゴダの丘に立ち、イエスの墓がある「聖墳墓教会」、ユダヤ教にとって最も大切な祈りの場である「嘆きの壁」、イスラム教にとって3番目の聖地である「アルアクサモスクと岩のドームのある神殿の丘」という3つの宗教的な重要施設が集まっています。

サムネイル、本文1枚目_内藤

神殿の丘に建つ黄金の岩のドームと、その手前にある嘆きの壁

 
 歴史的には、3000年以上前から、ユダヤ教の時代、ローマ帝国の支配、イエスの処刑、イスラムによる支配、十字軍の侵攻、オスマン帝国時代、ユダヤ人の帰還といった様々な出来事を経ています。そして、第二次大戦後には、世界各地から集まったユダヤ人によるイスラエルの建国により、周辺のアラブ諸国と中東戦争が起こり、イスラエル・パレスチナ問題はいまだに解決する見通しが立っていません。
 実際住んでいても、エルサレムという街はとても特殊で、複雑さを感じる場所です。私の住む西エルサレムは、主にユダヤ人が住むイスラエル側ですが、幹線道路を挟んで東側の東エルサレムは、アラブ人のみが住みつつイスラエルが占領している特殊な場所です。さらに、その先には分離壁と呼ばれる壁があり、壁の向こう側にはアラブ人が住むパレスチナ自治区のヨルダン川西岸と呼ばれる地域が広がっています。パレスチナ自治区に住むアラブ人は、特別な許可がないとイスラエル側に来ることはできません。一方、壁のこちら側のイスラエル人もパレスチナ側に行くことは禁じられています。
 エルサレム周辺は、今は比較的治安が良く、日常生活で危険な思いをすることはありません。一般犯罪が少ないことから、実はヨーロッパやアメリカよりも安心して暮らせるような状況です。それでも、トランプ大統領による米大使館のエルサレムへの移転や、最近の中東和平案の発表といった政治的な動きがあると、パレスチナ側の不満があおられデモなどが起き、イスラエル側も鎮圧のために武器を使うため、その動向には気を配る必要があります。また、ここからは大分離れた場所にあるもう一つのパレスチナ自治区であるガザでは、今でも日常的にパレスチナ側からのロケット弾とイスラエル側による空襲の応酬が行われています。このような地にいると、国際政治が日常の生活に直結していることを実感します。
 イスラエルの中を見ても、建国してわずか70年余りで、ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、中東、アフリカなどからの移民と、もとから住むアラブ人とで構成されている特殊な国です。毎週金曜日の午後から土曜日は仕事をしない安息日で、公共交通機関は止まり、店も閉めてしまいます。食事も、ユダヤ人はコーシャと呼ばれるルールにのっとり、豚肉やうろこのない魚介類は食べず、また肉と乳製品は一緒に食べないなど、細かなルールがあります。
 ここに暮らしていると、普段から人種や宗教、世界の動向、自分たちのアイデンティティなどについて、考えさせられることが多いです。
 
2.ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶ学校
 このような状況のエルサレムに、ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶハンドインハンド(イスラエルのユダヤ人・アラブ人教育センター)という名のイスラエルの学校があります。イスラエルは、ユダヤ人がマジョリティですが、イスラエル国籍をもつアラブ人も約2割います。通常はユダヤ人とアラブ人は別々の学校で学びますが、この学校ではユダヤ人とアラブ人がそれぞれ半数ずつ、一緒のクラスで学びます。ユダヤ人が話すヘブライ語と、アラブ人が話すアラビア語の2言語を使い授業を行い、また双方の文化、歴史などを学ぶことで、お互いのことを小さいころから理解する機会を作っています。

本文2枚目_内藤

ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶハンドインハンドの校舎

 
 ここでの思想は、「敵でなく隣人として理解する」「知らないことが恐怖を生むので、知ることが大事」「同化ではなく各民族の文化を尊重する」ということだそうです。和平の機運が高まった時代に、親が自分たちの思いで作った学校で、エルサレムから始まり、現在はイスラエル全土に6校まで広がっています。保護者が学校の運営や教える内容にも関わり、親自身もお互いの歴史を学ぶ機会を持っています。
 ユダヤ人とアラブ人の相互理解は非常にデリケートな問題で、例えばイスラエルにとっての建国という嬉しい出来事は、アラブ人にとってはパレスチナ難民発生という今に続く悲しい出来事であったりします。どう教えるかに答えはなく、また何が正しいか、一つの答えがある世界でもなく、親も先生も試行錯誤が続いているようです。さらに、この学校はイスラエルの和平に反対する過激なグループに放火をされたこともあるとのことです。学校の存在自体が社会に影響を与え、社会を変えていく力になろうとする、そんな学校です。
 ESDにおいても、地域社会の課題を取り上げて皆で考えることはとても大事なこと。社会には、答えが一つでないこと、先生も保護者にとっても一つの正解と言えるものがないことがたくさんあります。例えば、環境の保護と経済性や利便性とのバランス、国の政策と地域の負担、過疎や高齢化への対応などは、様々な立場の人々の利害が相反し、一つの価値観や正義感では解決が進まない複雑な課題です。また、国内の在住外国人や、近隣諸国との関係など、日本においても、ユダヤ人とアラブ人とある意味同じような、国家、民族、文化、宗教等の違いの中での共生という課題もあります。ハンドインハンドのような学校を見ると、変わりゆく世界の中で、より良い社会を実現していく力を育むためには、様々な立場の意見を尊重し、先生や保護者もともに学びながら教育を行うことが大切だなあ、と感じます。
 
3.インターナショナルスクールで教えていること
 我が家の小学5年と中学2年の2人の子どもは、英国系のインターナショナルスクールに通っています。こちらに来て今1年半ほどですが、日本で特別に英語教育をやってきたわけではないので、すべての授業が英語で行われる学校についていくのは大変です。英語が苦手な子ども向けの特別プログラムと、そのような子どもの対応に慣れた先生方のおかげで、どうにか頑張って学んでいます。
 日本のインターナショナルスクールも同じかもしれませんが、学校には日本ほど細かなルールがありません。小学生4年で転校して来た娘は、当初は、「学校に○○を持って行っていいか?」とよく聞いてきました。日本の学校だと、「これを持ってきなさい」「これを持ってきてはいけません」といったルールが細かくあります。例えば、小学校低学年は、シャープペンシルは禁止ですよ、とか。でも、こちらでは細かなルールや、持ち物の説明はありません。昼食も、小さなカフェテリアで自分が食べたいものを選んで食べるもよし、お弁当を持ってくるもよし。みんなで同じものを食べて、食べ残さないで、なんてことは言われません。文化も宗教も違えば、食べ物も、持ち物も、洋服も違う。
 授業の中で特に興味深いのは、子供たちに考えさせ、意見を言わせたり、書かせたりする授業が多いことです。中学2年の息子は、ある日、「学校で人体実験の是非についてみんなで議論をして、とても面白かった」と話していました。最近は、多文化主義や植民地政策について調べて、意見を書く宿題をやったりしています。宗教と科学の関係について文章を読んで、プレゼンテーションを考えていることもありました。英語では理解も表現にも限界があるので、「こういう勉強が日本で、日本語でできたら超面白いのになあ」とよく言っています。
 小学校5年になった娘も、「学校の教室に監視カメラを置いた方が良いか、置かないほうが良いかについてみんなで考えて、一人ずつ発表をする授業があった」、と話していました。実際に監視カメラは、学校で設置の是非を検討しているそうです。発表を他の学年の生徒が聞いて、どちらが良いか手を挙げて投票をしたそうです。これはまさに、実際の社会にある正解のない課題を、学校の中で考える授業といえるでしょう。日本でも、アクティブラーニング、探求する学びを進める動きが盛んですが、こちらの授業を受けた我が家の子供たちは、最初は先生が期待する答えがなく戸惑っていたようですが、徐々に面白がって授業に入り込んでいるようです。そして、大人が思っている以上に自分の意見を考えて表現できるようになってきています。
 多様性の尊重が教育のベースにあり、また自分の考えを持ち、それを表現することを大切にする教育により、各人がのびのびと育っていくこちらでの環境をうらやましく感じています。日本においても、教育における思想としての多様性の尊重や、自ら考えて表現する授業のチャレンジがさらに浸透、促進されることを期待します。