ESD・SDGsが目指す未来は、失われてきたつながりをもう一度結び直し、新たな価値観を共有すること。
登壇者の発信を受けて~一人一人が変化を起こしていく主体になる~
フォーラムは「一人一人が変化を起こしていく人になろう」という上條さん(NPO法人 開発教育協会)のお話からスタートしました。根本さん(国連広報センター)のSDGsが作られたこれまでの動きや新しい動きについての発信がありました。たくさんの事例が紹介されましたが特に、SMSで難民に情報発信をしたり、3Dプリンタで義足を作ったりと新しい技術を支援に活かしている事例は興味深かったです。また根本さんは、日本国内の「6人に1人が貧困であること、シングルマザーの状況、返せない奨学金」などの問題にも言及されました。SDGsは国内の課題も指標にされているそうで、安心しました。
パネルディスカッション「SDGsとESD活動」では、企業、教員、NPO、市役所職員の立場からの発信がありました。多様な立場の人がつながり、平等に対話し、合意形成していく重要性を感じました。それは第2部での全国の地域からのコメントの登壇者の方々からも感じました。企業×ESD(=近江商人の三方よしに通ずる?)、地域×学校など失われてきた関係性を結ぶことが大切なのではないでしょうか。
「SDGs、ESDが目指す社会とは」という私からの問いに、根本さんは「将来世代への可能性を残す、カーボンフリーな社会」。関さんは「市民化された資本主義がキーワード」とおっしゃっていましたが、他のパネリストの方も含め、もう少しお話を聞きたかったところです。
次に、NPO法人ボランティア・市民活動学習推進センターいたばしの加藤さんのお話を紹介します。加藤さんのお話で驚いたことは、「国連のメッセージは私たちの市民活動の基盤になっている」という活動の軌跡です。1981年の国際障がい者年のときは、地域の中学生を障がい者スポーツ大会にボランティアとして参加してもらうことに取り組まれました。それからも国際ボランティア年、ESDの10年と、地域の活動と結びつけて活動して来られたそうです。
SDGsの“誰も置き去りにしない”というスローガンは、“個人の尊厳を大事に”と板橋に合う言葉に置き換えたそうです。国連の難しいメッセージを咀嚼し、自分の物にし、社会をつくる主体の自覚を広げて来られた活動は、正に“世界規模で考え、地域で行動を”です。長く活動されてきた加藤さんの言葉には説得力があり、「自分は種をまいてきた。それが芽吹いて生きてくる」という言葉に、「私もいつか芽吹く芽を見られるような、そんな活動をしたい」と励まされました。冗談をよく挟み、とっても愛されるキャラクターの加藤さん。地域の中心として活動されてきたお人柄が窺えました。
また、今回「つながり」という言葉をよく聞きましたが、加藤さんも「利便性を追及して個人で生きていく社会になった。中間組織は“縁側の場づくり”が必要」とおっしゃっていました。昔の日本の町には、家々の縁側があり、そこは人々の交流の場であり、居場所だったそうです。ESD活動支援センターも“縁側の場”をキーワードにされてはいかがでしょうか。
第3部の中では、及川さん(東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター)の「ESD推進ネットワークの可能性」と題されたお話の中で、「多様な主体が既に存在し、それぞれに活動が進められている。この大きく分けて2本の潮流(持続可能な社会構築と教育の質の改善)を融合させることが、各地域のESD活動支援センターの役割なのでは」という意見が興味深かったです。改めて整理してみると、学校や、行政や、企業や、市民活動などの多種多様な主体がESDに取り組んでいます。1部、2部の発信が私の中で整理された発表でした。
フォーラムで心に残ったこと1つ
“許される社会”という言葉にえんたくん会議(グループ会議)の場で出会いました。教師の方の「今の子どもたちは、いろんな選択肢があることを伝えても、テストの正解だけを聞いてくる」というお話から派生して出たキーワードです。確かに子どもも大人も「○○しないといけない」という枷に捕らわれ過ぎている気がします。テストや人生の正解だけを追い求めるだけでなく「間違ってもいいじゃん」「失敗してもいいじゃん」「そんな価値観もありじゃん」「そんな人生もありじゃん」そういう寛容な心でいられ、それが許される制度があり、人々の心の余裕がある社会であればいいと思います。世界には多様な人がいます。多様な人ともいがみ合わずに暮らすには、そういった受容や寛容、他者の状況や気持ちを慮(おもんぱか)れる想像力が大切だと思います。持続可能な社会のヒントになるキーワードだと思い、一番心に残りました。
フォーラムで主旨には関係ないけれど、プラスになったこと1つ
ファシリテーターの方の言葉の選び方の上手さが勉強になりました。わかりやすく、丁寧で優しい言葉に瞬時に置き換えられること、淡々と話しているようで、人をひきつける話し方であることに驚嘆する場面が多々ありました。私が苦手なことです。「見習いたい!私もあんな風に話せるようになりたい!」と思いました。
次回のフォーラムへの提言1つ
フォーラムでは様々な立場にある方が参加していることに意義を感じました。大きな政策を進めることができる位置にいる方はそれを、「声なき声」を拾える立場にいる方はそれを、子どもたちに伝える立場にいる人はそれを、適材適所でそれぞれが得意とする分野や立ち位置や方法で、ESD、SDGsに取り組んで行ければいいなと思いました。
しかし専門家がいたらそれでいいと言う意味ではありません。先駆者が事例を話すフォーラムも大切ですが、それよりもパブリックミーティングのような形で全ての情報が公開され、政府関係者でも、教員でもNPO/NGOでも、一般市民でも興味があれば誰でも参加することができ、来られない人でもインターネットで情報を見ることができ、参加者は自由に話し合える場がいるのではないかと思いました。井戸の中のかわずになってはいけません。官僚が見る大きな視点も、私のような現場目線も、その間をつなぐ広範囲な知識を持つ人も必要です。
それぞれが分断されず、多数決で決めず、お互いの意見を尊重し、合意する…これはとても難しいですし、日本人が苦手とするところですが、そういう本当の意味での民主主義の場が欲しいです。
フォーラムで解決されなかった疑問2つ
フォーラムで解決されなかった疑問が2つあります。まずは「持続可能な社会とは何か」ということです。問題を挙げることも大切ですが、ゴールを決めてそのゴールに向かって今すべきことは何かという点から取り組みを始めることも同時に必要なのではないでしょうか。それが見えなかったため「結局ここに集まる人はどこを目指して頑張っているのか」ということが見えませんでした。
もう1つは「途上国のために何ができるか」という話の前に、「先進国のわたしたちの暮らしを見直す」という話がなぜ出ないのか、ということです。途上国の貧困や紛争、環境破壊の多くは、先進国の搾取や介入、行き過ぎた発展によって起こっています。先進国が及ぼす大きな潮流を変えない限りは、民間レベルでSDGsに取り組んでも、与える影響は小さいのではないでしょうか。フォーラムに政府機関の方がおられるのであれば、難民援助をするといっている裏で、なぜ武器輸出に積極的なのか、核兵器禁止条約に反対するのか、スーダンに自衛隊を派兵するのか等の日本政府の二枚舌外交について取り合ってもらいたかったです。こういう視点が少しもなかったことに違和感を受けました。
さいごに
1992年のリオでセヴァン・カリス=スズキさんが「戦争で使うお金を全部、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はもっと素晴らしい星になるでしょう」とスピーチしてから24年。大切なメッセージは彼女が伝えてくれました。それに応えられなかった私たち大人が、次にマララ・ユスフザイさんを持ち上げ、また同じようなメッセージを彼女に発しさせたことは“感動”でしょうか。“恥”でしょうか。
新しいSDGsという目標。「誰も取り残さない公正な社会を目指す」というスローガンに今度こそ応えたい。そのためには過去の振り返りと現状の確認を行い、いい点も悪い点も整理することが必要だと思います。次回のフォーラムはぜひこの点を入れてくださることを期待します。スローガンが綺麗な言葉だけで終わらないよう、私もできることを一歩ずつ取り組み、変化を起こす主体になりたいと思います。