日常、仕事、趣味、恋、常に私の拠り所としてあるESD。それを感じさせてくれるのは、ESDを通じて出会った面白い「仲間」がいてくれるからだと思う。
11月26日(土)「ESD推進ネットワーク全国フォーラム2016」に社会人ユースESDレポーターとして参加した。私自身、ESDの活動に出会い、約10年が過ぎ、この10年を振り返るにはとてもよい機会を頂けたと思う。活動期間中に出会った仲間は、国内に限らず、海をも越えて約1000人はいるだろう。
全国フォーラムでは、その名の通り全国からESD実践者が集まり、どの講話も大変興味のあるものだった。特にフォーラム終盤には、「えんたくん」を囲んでグループごとにESDの在り方を話し合った。その話し合いの中で私が大変、興味を持ったことが2つある。
1つ目は、「地域を巻き込むことでESDらしくなる」ということ。ESDは地域人材の充実、その土地に根付いた文化、その土地ならではの利点・問題点を住民で考えることで成立するという考え方である。ESDは地域の活性化を目指す上で、住民の参加なくしては成立しないことを痛感した。ならば、ESDの輪を広げたいと願い、リードする私たちは、住民や団体が作り上げたネットワークを活用するべきである。この考え方は、地域と学校を繋ぐためにも活用できる視点である。
2つ目は、「ESDの実践が多くあるにも関わらず、一番実践したい学校現場では、十分に時間が取れない。ESDを知らない子どもたち全員に直接的に伝えることのできる場こそが学校である」ということ。地域のNPOや地域の方がESDを広める活動をしているとそこには、自然・生物・平和などに興味のある子供やその両親が集まってくれる。その結果、身内の中でしか広まって行かない。ESDの拡大を図るためには、教育現場こそが最適の場所であることは明白である。しかし、各県において、ESDの浸透に差が出てしまうのは、教育現場の教員がESDを取り入れた活動を十分に行えないことやカリキュラム編成、実施に対する自信、余裕がないことなどに原因があるだろう。私も公立学校の教員であり、それをつくづく感じるのである。
社会科で「貧困の輪をたちきるために私たちにできること」についてワークショップを入れ込んだ授業を行った。生徒は学ぶ意欲が高い。社会科専門教員たちはそんな生徒の姿を観た。しかし、「今回の授業のねらいは何か?社会科において空論で話をしていいのか?」教科の本質に関わる問題点が次々と上がってくる。社会科の教員たちにとって、資料提示は絶対であり、「~をしていきたい、~ができると思う」という空論は授業ではないと考えている。
資料がなくとも考えるきっかけになることを提供し、授業をしている私には、いつも辛い言葉である。私は、資料ありきの授業だけではなく、地球市民として、中学生にもできる事がないかを考えることがESDであり、社会科にも繋がるのだと思う。しかし、その思いが伝わらないことが悔しいと思う。ESDの実施について、排除された気分はいつものことである。それでも私は、ESDを通して、自らの生活を見直し、今後どのような社会を作り上げたいのかそれを考え、主体的に行動する力を付けることが最も大切なことではないかと思う。
全国フォーラムでは、「教育委員会を通して、ESDをもっと話してはどうか」、「周りの教員に対して、ESDに関するワークショップを研修で行ってみてはどうか」、と提案を頂き、全国フォーラムの内容を含め、教育現場で実践してみようと考えている。ESDを知らない方にどのようにアプローチするのか、多くのヒントを頂き、最も行動すべき者は、ESDに関心があり、ESDをよく知っている自分自身であると気づいた。
全国フォーラムを通して、多くの仲間の共感、頑張っている姿への声援、困ったら連絡してという愛情を強く感じることができた。ESDはいつも私の心の支えであり、それを応援してくれる「仲間」の存在は宝だと信じて、このフォーラムの学びを忘れず、今後も活動していきたい。