岡山県瀬戸内市にある長島愛生園及び光明園。ここはハンセン病の国立療養所の一つであるが、かつて国の誤った隔離政策により、入所者は長年にわたって、差別や偏見に苦しみ、不自由な生活を強いられた。2001年の裁判で国は控訴を断念、和解したことで隔離政策に終止符は打たれたものの、偏見は減らず、入所者の社会復帰に関する理解が少ないのが実態であった。
そのような背景の下に2004年3月に設立されたのがハンセンボランティア団体「ゆいの会」である。当初はハンセン病療養所入所者の社会復帰を支援し、ハンセン病に対する差別偏見の解消を目的としていたが、現在は多岐にわたる活動を展開している。
まずは愛生園歴史館でのボランティア活動である。もともと愛生園にも学芸員は常駐しているが、1名しかおらず限界があったため、ゆいの会のメンバーも歴史館の来館者に対して展示物の解説、案内を行っている。
歴史館を訪問する層としては、地元瀬戸内市の小中学生、人権に関わる活動団体、民生委員などがメインで個人も含めて年間約1万人が訪れている。ただ展示物を訪問者に解説して館内を巡回するのではなく、なぜ誤った政策が行われたのか、二度と同じ過ちを繰り返さないためにどうすべきかなどを考える機会を提供するなど、各々のボランティアで参加者と学び合う工夫をしている。
愛生園及び光明園を世界遺産化しようという動きも出ているが、これは決してブランド化や観光地化しようというものではなく、負の遺産として残し、人権学習の場として活用してほしいという狙いがある。
ゆいの会もこの動きに参画している。その一つが園内に残っている十坪(とつぼ)住宅の修復保存である。その名の通り10坪程度の小さな民家だが、現存しているものも非常に少なく、日本の民家としては歴史的な価値を持っていることから、関心を持った岡山県内の建築士らも修復保存に関わっているほか、建築学を学ぶ学生たちへの教材としても活用されている。他にも、園の中で入所者が執筆していた文芸作品を整理し、残す活動も同時に行っている。
その一方で課題もある。入所者の高齢化もあり、設立当初の目的であった入所者の社会復帰に関しては実施できていないほか、かつて行っていた外部での講話も難しい状況となり、入所者の生の声を届けにくい状況となっている。
また長島愛生園及び光明園は地元瀬戸内市にある小中学校の児童、生徒たちの地域学習の場として活用されているが、岡山県内の他校からの訪問が県外の学校からの訪問に比べて少なく、まだまだ岡山県内において人権学習の場として活かされていないのが現状である。今後世界遺産登録に向けた動きを進めて行く中で、市民、県民に関心、協力を得て根付かせて行かなくてはならない。
そうした中、新たな人材確保に向けた試みもしている。毎年ボランティア養成講座を実施しており、毎年15名ほど新規で応募があるという。
高校生と連携した活動も試みており、岡山朝日高校のボランティア部や山陽女子高校の放送部の生徒たちとともに、先述の十坪住宅保存の署名、募金活動を行っている。若い世代の参加によって世間の注目度も変わってくることから、学校とも連携して若い世代へ継承していきたいと事務局長の山本勝敏氏は語る。
多くの人が他人事と捉えているハンセン病問題。過去の問題にも向き合うこと、自分事と捉えることは難しく、かつ高齢化に伴って風化しつつある。そうした中、ゆいの会の地道な草の根活動が風化を防ぎ、後世に伝える不可欠な役割を果たしている。岡山の持続可能性を考えるうえでも大事な問題であるがゆえ、世界遺産登録に向けた動きの中でより多くの人に知ってもらい、考えてもらいたい。
訪問先
ハンセンボランティアゆいの会記入者
井上紘貴(岡山市京山地区ESD推進協議会)
2005年に岡山市京山地区におけるESD活動に参加。2014年2月の第1回ESD日本ユース・コンファレンスに参加、2014年11月のESDに関するユネスコ世界会議でもボランティアやオブザーバーとして参加するなど、10年以上一貫してESDに携わっている。活動の中で培ってきたものは「学びあい」、「地域への愛着」。現在は民間企業で働きながら、活動を両立させている中で、若者の参加しやすい場づくり、活動が継続できる仕組みづくりを模索している。